- 2008-11-04 (火) 2:39
- 雑記
自分自身の性質について考えてみると、暇なときは、なにもしない。
絵を描くことも文を書くことも楽器を弾くこともしない。やることと云えばダラダラとネットを巡回したり日課である炊事をしたり本を読むくらいのことはするのだが、それ以外のことを自発的にやろうという気がおきない。
ところが、ちょうど今みたいに忙しい時には、なぜかもっと忙しくしたがる。困ったものだ。
原稿もイラストもCGのモデリングもRIG組みもFLAHによるフレームワークもしなけりゃならないのに、合間を見つけてはブログに記事を書き、コメントを書き、メールをチェックしたり買い物に出たり探し物を始めたりする。犬たちのトイレ掃除を入念にしてみたり、手間のかかる料理を作りたくなったり、なにも今やらなくてもいいだろう、ということを次から次にはじめて、挙句の果てに寝しなにネトゲにログインしている。廃人だ。まちがいない。
まちがいないことに気がついたので、廃人道を究めようと思う。多分長くはつづかないので大丈夫。
そこで、今日の記事は「手術と入院の徒然」にしてみる。理由は忍冬さんのブログを最近知り、興味深かったから。そこで、TB差し上げるのに相応しそうなエントリを書こう、と思ったのだ。
1:NANは、サルが嫌い
これはあまりネタにしたことがないが、本当の話だ。サルが嫌いなのだ。札幌の円山動物園では延々とサル山を眺めていた私だけど、サルが嫌いなのだ。伊豆の波勝崎でもサルの群れを眺めていたものだが、サルが嫌いなのだ。なぜかと云うと、サルが私を噛んだからだ。
そのサルは、東京の麹町にある東京警察病院の屋上にいた。いわゆる実験動物である。
サルと云っても、どんな種類のサルであったかまでは分からない。なにしろ、その時私は7歳だった。小学1年生だ。とにかく母に「サルがいるよ」と教えられ、動物園気分で見物に行ったのだ。
母は、病名「胃潰瘍」であった。その数週間前、自宅近くの銭湯「ひさご湯」で、母は自分が病気で入院するのだ、と私に教えた。病院は大嫌いなガキのコロの私だったが、見舞いに行く分には構わない。さらに、サルまでいるのだ。歓喜した私は意気揚々と屋上エレベーターに乗り込み、屋上に至る短い階段を上り外に出た。
で、その後のことは良く覚えていない。
とにかく、サルは見た。それは確かだ。
ガキの記憶なので確かではないけれど、かなりデカイ種類のサルだったことも確かである。サルはただじっとしていた。多分、数分の間は平和にサルを見ていたのだと思う。屋上からは市街が見渡せ、天気は晴れていた。無論、サルは放置されていたわけではなく、鎖に繋がれ、保育員か医局の人間が一緒にいたのである。そして、気付いたときには誰かの怒声が響き、私の右足には激痛があった。サルが鎖を千切って飛び出し、その場に居合わせた何人かを襲った末、私の右大腿部にしがみつき「食いついた」のである。
「噛まれた」というと、それほど大した怪我ではないことを連想するかも知れないが、ガキの太ももとはいえ、骨に達する牙が何度も食いついたのだから出血は凄まじいものだった。誰かがなんとかしてサルを振りほどいたとき、私は父の腕に抱えられ、自分の右脚から噴き出す真っ赤な血を見ていた。きっと動脈を食いちぎられたせいだ。ガキの私には分からないことだが、それを覚えている私には分かる。文字どおり、ピュー、と血が噴き出るのだ。
それはもう、恐ろしい、というより呆然とするしかない光景で、なにか肉のかけらのようなものを父が私の足に押し付けていたのも覚えているのだが、それがなんだったのかはもう分からない。とにかく幼い私は、自分の皮膚の下には鮮やかに赤いネロネロした組織があることを知り、それを間近に見ていた。
やがて、私はエレベーターに乗せられ地下にある救急救命センターに運ばれた。
父もどこかを負傷していて、母も腕かどこかを引っかかれていた。私は、なにか布のようなものを傷口に突っ込まれ、傷の痛みよりもその強烈な違和感に泣きわめいていた。やがて、手術台に運ばれた私の周囲に医師や看護師やその他のスタッフが集まり、緊急手術がはじまった。
2:麻酔がないと、痛い
どういう理由なのか、本当のことは私には分からない。おそらく、エレベーターの床に水溜りを作るほどの出血を伴っていたので、命に関わる状態だったのだろう。そのため、手術は麻酔なしで行われた。
頭を強く打ったり、頚動脈を圧迫するとヒトは簡単に意識を失い気絶するのだが、痛みで気絶することは通常できない。痛みで意識を失うケースはショック状態であり、場合によってはそのまま死ぬ。こうやってブログ記事を書いているのだから、結局私は死ななかったわけだが、身体にメスやその他の術具を挿入されたりこじ開けられたりする痛みは強烈そのものだった。
特に、印象深く覚えているのは、メスかなにかで筋組織を切り開いていくときの音だ。うまく擬音化できるか分からないけれど「ミチミチミチ」とか「ギチギチギチ」という感じの、かなり盛大な音が出る。挙句にそのたび激しく痛い。
「痛い痛い痛い痛い」
口にした言葉らしきものはそれだけで、あとはギャーギャーわめいていた。手足は術台に括り付けられ、身動きできない状態だったのだが、口だけはいくらでも開く。あんまり私が騒ぐので、父親が誰か病院スタッフに掴みかかっているらしき気配もあった。大騒ぎしていたくせに、痛みのせいで激しく意識は冴えていたから今でもかなりのことを覚えている。
ガチャガチャガチャ、ギチギチギチ、キイキイキイ。
とにかく金属音やバキューム音や電子音が鳴りまくっているので、手術室はかなりうるさい。なにかを入れた金属の盆が頻繁に交換され、猫がティッシュで遊ぶ勢いで布やコットンが消費されていた。誰も彼も血まみれで、ベッドはひどく冷たい。よくテレビや映画で救急救命手術の描写があるけれど、私よりもっとひどい状態で運びこまれる患者の手術であれば、あんなに静かなはずがない。なんというか、ほとんど戦争。医療の現場はまさにそういうものだった。
痛い描写の最後は、縫合である。
きっと今は、もう少し便利な道具が開発されているのだろう、と思いたいけれど…医師が「これで最後だよぉ」と少しも笑顔じゃない顔で私に云い、直後に「ぶつっ」と何かが刺さる音がした。もしこれを体験したければ、皮付きの鶏肉丸ごとをまな板に置き、勢い良く串を刺してみればいい。きっと同じような音がするだろう。
もともと傷のないところをメスで切開したならば、そんなことにはならなかっただろうが、なにしろ私の右の太ももは中央部から膝にかけて無数の噛み痕で肉が抉れ組織が食いちぎられていたのだ。縫合するにも一筋縄ではいかなかったのだろう。おかげで、相当に太い針と糸で、ぐいぐいと皮下脂肪ごと皮膚を引っ張り、結び合わせてくれたのだ。
3:傷口は、激しくでかい。
無麻酔2時間の手術を終え、私はどこか別室に移された。
足は猛烈に熱く、身体は激しくだるい。さいわい、神経もくたびれたのか痛みは去っていたが、今度は激しい悪寒が襲った。
相当量の雑菌が侵入し、炎症も起こしていたのだろうし、大規模な裂傷と出血による身体の反応でもあったのだろう。輸血用の血液が濃い赤い色をしていることをその時はじめて知り、なんだか気持ち悪い色だな、と思った。
あとはまどろんだり、本格的に眠ったりで、意識がはっきりすると、途轍もなく傷が痒いことを覚えた。
所見によると、筋肉の断裂、神経の断裂、一部骨組織の損傷で、全治6ヵ月の診断だった。入院は2ヶ月~3ヶ月で、経過を見ていくとのこと。ガキながらもそういうことは良く覚えている。きっと何度も聞きなおしたのだろう。
もしあれが、7歳という年齢でなかったなら、その後私はスポーツ選手を志すことなどできなかっただろう。もちろん今でも傷ははっきりと残っている。一番大きな傷口は右手の指4本で覆いきることができず、小さな傷口でも、人差し指の先よりは太い。ケロイドというより、肉がなくなった痕なので、傷は膨らんでいるのではなくへこんでいる。
スポーツ選手の方は、17歳のときのバイク事故で結局消えてしまったが、まぁいまだにコブ斜面でスキー遊びができているのだから十分である。自転車にも乗れるし、走ればけっこう速い。十分すぎるくらいか。
母親は胃を全部摘出する手術を行い、私より少し早く退院していた。胃潰瘍は方便で、要するに初期の胃がんだったのだ。まぁそのがんも再発せず、1年半jほど前、結局は脳梗塞で半身不随になり、特養ホーム入りしてしまった母だが、自分は早く死ぬ死ぬ、とことあるごとに云っていた割りには、先に逝ってしまったのは父なのでおかしなものだ、と思う。
私は、入院生活を実にたのしく謳歌し、2ヵ月後に退院した。
最初は個室だったが、後に大部屋に移され、夜明けというものを初めて病院の大きな窓から見たし、花火大会を「例の」屋上から眺めたのも良い思い出である。私を噛んだサルは、その後どうなったのか分からない。別にサルが悪いわけではなく、管理体制が悪かっただけだから別にいいのだが、噂によるとその後も何人かの「犠牲者」を出したらしいので、なかなかの凶暴ぶりである。というか、そういうサルを人目につくところに連れ出す病院側の行動がよく分からないが、まぁよしとしよう。
最後にもう一度だけ痛い話を。
術後、経過も順調だった私だが…最高に嫌いな検査がひとつあった。
先ほども書いたように、傷口の一番大きなものは、到底縫合しきれるようなものではなく、しばらく穴が空きっぱなしだった。最初のうちは、そこに抗生物質だかなんだかを循環させるホースが突っ込まれていたのだが、それを外し、今度こそ傷が塞がっていくのを見守る検査として「金属の棒を挿し込む」という実に単純な検査があった。
棒は、おそらくステンレス製でピカピカしているのだが…太さは、万年筆ほどあった。
きっと、刃物が深々と突き刺さっても同じような感じなのではないか、と思う。そうだ、槍が突き刺さったらきっと似ているだろう。もともと開いている傷口に棒を突っ込むので、皮膚を破られ組織を破壊される痛みというのはないのだけれど、いくら慎重に挿しこんでいるとはいえ、異物には違いない。だからこれもかなり痛い。痛いというか、ひどい違和感があるのだ。ああいうのはもう、それっきりにして欲しいものだな、と思う。
さて…けっこう壮絶な体験をしてしまった私だが、痛みに強いなんてわけがない(笑。
画鋲が刺さっても痛いし、深爪をするととても痛い。最近は、少し放置していた虫歯が痛むようになって、そろそろ歯医者に行かなければ、と思っている。なんにせよ、痛いというのは生きている証拠だ。人生、痛いうちが華と云うことか。
※なんとなく「気絶できないネタ」としてNATROM氏のエントリにもTBしてみようw
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「不幸自慢」をしない心構えをする
いやあ、痛みで気絶、できませんね。脊椎破裂骨折のとき、痛かったですが、気絶しませ
